自分でもどう転がるかわからなかったピクリサ漫画ですが、そろそろパーリィの終了期日が近いので外連はやめてキッチリ終わらせなければなぁ、と思っております。
てか、今のうちに方向性決めとかないと絶対またゆらぐね、私。
多分あの二人の救済の技法というのはユング先生の言うところのシリア・エジプト型のグノーシスの考えに近しいものなのかしれませんね。
「転落した『エンノイア』である彼女を救うことで彼が救われ、世界が救われる」
問題はその方法なのですが、精神分析者のジャック・ラカンは「人間はトーラスだ」と言い切っています、
簡単に言うと、人間は自分の直感がとらえている世界の全体像を表現しようとして次々に言葉を繰り出すのであるが「言葉は常に自分に語りたいことを語り損ねる」という宿命を持っている。言葉の語られるところには必ず空虚な』中心が出現し、そのために言葉とモノが一致することは有り得ない、ということ。
言葉ではたぶん真意など伝わらないし、けれども言葉無くして想いは伝えられない。
それが日常。
日常を超えるのは生ける言葉か生ける神。メアリさんは「数学者」ヴィドさんは「錬金術師」ですので、言葉を練金して神へと練心しちゃえばいいんでないかい、みたいなそんな感じなんだけど、ああラカンの言うとおり自分が何を言いたいかさっぱりわかりません。
イメージとしては平沢進の「達人の山」な感じがあるのですがね。
「花は蒔かれた何万も キミの行く道の上 無き者のように目を閉じて呼びかけた遙かから 愛のような日が怪力で来る」
なんとなく、メアリさんが「涙」を取り戻せればいいなぁとかも思うけど、はてさて。
まぁいくらイメージしたところで最大の難関は私がものすごく絵が下手ということと、集中力が4頁しか持たない、という恐ろしさでしょうかねぇ……。
なんでこんなに薄っぺらい絵しか描けないのかとがっくりしますね。
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