今日、仕事で珍しく現場に行って、タイムスケジュール通りのライン組むための作業工程の打ち合わせを工場長としていたら、ローラーに容器ごと左手を挟まれてしまいました……
しかも、無理矢理引き抜くと手の甲を骨折するかも知れないから、逆回転させるまで待てと言われ、3分放置。
スゲーくっきりと手にしていた容器の跡が手のひらに刻まれて、ぜひとも皆に見てもらいたかったのですが、なんかグロ画像注意な写真になってしまったのでやむなく却下。
まあ設計屋として、現場の人が自分の組んだラインで怪我することに比べれば、その危険個所を身をもって知ることが出来てよかったよ…って自分を慰めていたら、工場長に『俺もこの工場に長い事勤めているけど、このローラーに挟まれた人間はじめて見たよ』と笑われてしまいましたよ。
いぇーい、ローラー挟まれたパイオニアだぜ、コンチクショウ!!
なんちうか、アレだね、3分間ギリギリと手を締め付けられながら思ったのだが、こないだ看板に頭をぶつけたときの咄嗟に感じる痛みと違い、状況を自覚しての痛みってのは、自分の中の知りたくもない深層と妙に向き合うものですな。
覚醒するという感覚に近いのかな、痛みに対して奇妙に冷静な自分。
脳というか思考が張り詰めて、何か閃くものを感じる痛み。
生まれる痛みのような、そんな感覚。
心の奥で何かのカギが外れて、普段の自分とは全く異なる思考というか非現実な世界が開けるというかね。
リストカットを肯定するわけではないが、そういうことをする人というのはもしかしたら、手首を切るという痛みによって全く違う思考というか内面にめぐり合うことによって、ある種の自浄を行っているのはないのかな。ただ、ここで得られる自浄の快感は、自分の隠しておくべき、あるいは目をそむけていた闇やイドに感じるおぞましさに直結していて、だからこそ妙な二律背反な快感と苦痛による自傷を止められなくなっていくのかも知れないなあ……。
痛いのは嫌だけど、たまにはこういう感覚を体感しなくちゃならないのだと、そう一生懸命自分をだまくらかしておりましたよ(笑)
痛いのやだー
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