mixiでも書いたがこっちにも書いちゃえ、な日記です(笑)
タイトル『作品と作者の人間性』
帰宅後、仕事っちうか本業で使う資料として中沢新一氏のカイエソバージュ一気読みしました。
まあ私生活では非常に問題もあり、人間的にもどうかと思う人ではありますが、研究や著書は本当に素晴らしいんだよなぁ、としみじみ思いますよ。
エドモン・ジャベスの『問いの書』を読んだときのような居ても立っても居られない知的興奮に教われるというか、学生時代にもっと勉強しとけば良かったよ!、みたいな後悔に襲われるというかね。
てか、私が好きな作家やクリエイターの半分が『作品は大好きだし、質も認める。ていうかマジ神クラス。だが、その産みの親であるお前は大っ嫌いだ〓』という評価を世間一般にされているという所を見ると(F澤S平とかさ)、作品と作家の人間性はやはり別物なんだろうかねぇ。
それとも才能あるが故に周りの人間が愚かに見えてしまうのか?
『チベットのモーツァルト』やら『精霊の王』を読んで比較宗教論を知って、民俗学や日本文学史に興味を持ったのがきっかけで今に至る訳だから、人間的にどうだとか糾弾されているのを見聞きするとちょっと寂しいなぁ。
どうでもいいですが、比較宗教論でいう所の『王』というのは、物凄く簡単に言うと『首長+シャーマン+戦士』。
ボクタイDSの破壊の王のラタさんはイモータルの首長ではあるが、シャーマンではなく(神の言葉を語る巫を持たないからね。兄サバタが巫なら司祭であろうが、あんな電波な巫の言うことを聞き取る司祭はどうなのか)、戦士でもなさそうな感じ。人形使いだしね。
公爵様はどうかといえば、ヴァンパイアの首長であるし戦士でもあるが、やはりシャーマンではないし(ペローという巫はいるが、彼女の司祭になる気はなさそう)、だから『王』ではなく『公爵』を名乗っているのかもしれないなぁ。
ちなみに『公爵:王族関係、若しくは王族と血縁関係のある実力者』なのだが、公爵様(デュマ)はどうしても破壊の王のラタさんと血縁関係ないよね。
元伯爵位という事を考えると、やっぱりGBAの血の伯爵の関係者だろうしさ。
でも、以前からの私の妄想『公爵様=暁のジャンゴ説』でこじつけると、『破壊の王=その力の源=ヴァナルガンド=兄サバタ』であるわけで、公爵様の中の人の暁のジャンゴとヴァナルガンドの中の人の月影のサバタは兄弟であるから、王との血縁者を表す公爵を名乗っていてもおかしくはないと思うのですが、はてさて。
ちなみに嫌な事だが、ボクタイDSのキャラで1番王に近い見立てが出来るのって実はDSサバタなのですな。
過去にギルドの次代リーダーになると目されていたし(首長)、カーミラちゃんという巫もいる。隻眼は山の神の司祭の証(彼女の声を聞く事が出来ればシャーマンに見立てられる)。戦士というのはいわずもがな。
なんか、DSサバタは嫌いじゃ無いが、奴が王の世界はなんか嫌だ(笑)
GBAだとリンゴもジャンゴも『王』になれるかな?。
だが、ヨーロッパでは太陽が沈んだ時に『王が現れる』という言い方をするんだよね。
昼間は女王、夜は王。
なんかわけわかんなくなっちゃったけど、うまくまとめられたら面白い妄想になりそげだなぁ。
なんかタイトルと脱線しちゃったがまあいいか。
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